kansiho's memo

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君が22歳なら、人生の7割はもう終わっている【ジャネーの法則】

思うところがあったので、きょうは技術メモ以外のトピックを書く。

私は死に焦りを持たない若い人が苦手だ。

人間が時間を測る基準なんで、年といった単位に特に意味はなくて、究極的には体感でしか測ることができない。1000年の重みを私たちは 1生、知ることができない。

今まで生きてきた時間と比べることでしか時間を測れない。

だから、人生の時間は均等ではない。0歳の子どもが過ごす1年と、と19歳の人間が1年過ごす1年は、

1/1 : 1/20 で20倍も違う。

なんて考えてて、ちょっとオリジナルじゃね、って思って生きてきたのだが、ググったら名前がついていて、「ジャネーの法則」というらしくて。

まあどっかで聞きかじってたのかもしれない。ごめんジャネー。

22歳で、80歳まで生きるという仮定のもと、ジャネーの法則では人生の何%過ごしてきたかを算出すると、

(1 + ½ + … 1/22) / ( 1 + ½ + /1/3 … 1/80)

で 体感余命は残り15年程度、 既に体感時間の7割以上が過ぎていることがわかった。

私は死への焦りはかなり持っているほうで、それは肉親の思わぬ死とか、街を歩いていて自分の真上を見上げたら、まさに飛び降りしようとしている人がいて、それをスマホで撮影する沢山の人々が輪になっていて、その真ん中から咄嗟にどいてしまった後に「自分がどいたせいであの人が死んだらどうしよう」と恐れてビルに駆け上がってその人と警察を交えて話した昔の出来事とか、たくさん飼っていた生き物のこととか、そういうのが影響しているんだと思うけど、

いい意味で自分に常に疑問を投げかけてるんじゃないかと思う。 「いま、なぜ生きるのか」 という理由がないと自分は生きれないめんどくさい人間で、

だってそうじゃないか、とも思う。だって死ぬとき、肉体的な痛みはあるけどそれは生に伴うものであって死そのものに伴うものじゃない。 死は無であり、死んでしまったら残した人たちに対する気持ちも何もない。何も感じない。だから悪く生きることが怖くても、死じたいは怖くない。 忘れられて悲しいとか、そう思う主体すらない。

だから自分たちには、そんな価値基準のない「ゼロ」である死を選ばないなら理由があるべきだと思う。しかしその理由が「幸せ」である必要はなくて、怒りとか、憎しみとかでも良いと思う。そういう感情を味わい尽くす意義ってすごいあると思う。なんで楽しいとか美味しいは肯定されて辛いとか苦しいはマイナスの価値を付与されるんだろうと思う。人間の偉大な発明はみんなそういう"マイナスの"価値を持つ感情が生み出したと思う。プラスをマイナスが生み出してるならマイナスだってプラスだろ。

と思っていたら、ビートたけしさんが良いことを言っていて、

人生に幸せなんて求めること自体勘違いなんだよ。世間じゃよくどうせ死ぬんだから楽しく生きようなんて言うけど、オイラは逆でどうせ死んで身軽になるんだから、生きてるうちにひどい目に会おう、辛く生きようと思ってる。

私の好きな映画は、「ファイトクラブ」なんだけど、 それはまさにメメント・モリな映画で、 銃口を口に突きつけて「今からお前は死ぬ!お前の本当にしたかったことは何だ!」とタイラーが言う。 やりたい気持ちを押さえ込んで、やれないことに対する辛さにも鈍感になって、感情を持たないで日々を過ごす人々を「ぶっ生き返す」映画。

死に焦りがないと私が思う風景は、 自分が関与しない所にある人間の話/モノにひたすら興ずる人々、 ルールを変えようとしないでそのルールを所与のものとして、つまらないって思いながら生きる人々。

だけど、そもそも「理由がないと何かをしないのもおかしくないか」とも思う。 ふつうに生きるでいいと思う。理由なんてなく。でもそのあり方を忘れてしまったら、私みたいにどうしても理由を考えてしまうなら、こう考えて欲しいと思って書いた。